凡人族(00〜20点)
小天才(20〜40点)
中天才(40〜60点)
高天才(60〜80点)
超天才(80〜99点)
問題1.
(弥生時代) 邪馬台国(30国ほどの小国連合)の卑弥呼が魏(中国)に朝貢して、親魏倭王(しんぎわおう)の称号と金印を授かる
239年
249年
259年
269年
問題2.
(弥生時代) 倭国王帥升(すいしょう)が後漢に朝貢してして生口160人を献じた
87年
97年
107年
149年
問題3.
(弥生時代) 邪馬台国と狗奴国(くなこく)で戦争になり卑弥呼の死後、台与(とよ) or 壱与(いよ)が女王となる
214年
233年
244年
248年
問題4.
(弥生時代) 倭の奴国王(なこくおう)が後漢(中国)に朝貢して光武帝から漢委奴国王印を印綬
42年
57年
98年
105年
問題5.
(古墳時代) 倭が東晋(中国)に朝貢する
321年
413年
459年
477年
問題6.
(古墳時代) 倭が朝鮮半島(南部)の百済(くだら)、新羅(しんら)を属国にする(好太王碑-こうたいおうひ)
380年
386年
391年
396年
問題7.
(古墳時代) 大伴金村は百済へ任那4県を割譲する
502年
512年
522年
532年
問題8.
(古墳時代) 百済から儒教が伝来
493年
513年
573年
583年
問題9.
(古墳時代) 磐井の乱(朝鮮半島南部へ出兵を巡っての国内反乱)
483年
501年
511年
527年
問題10.
(古墳時代) 任那が新羅に奪われる
562年
572年
582年
592年
問題11.
(古墳時代) 百済から仏教が伝来
510年
538年
565年
577年
問題12.
(古墳時代) 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
557年
587年
597年
607年
問題13.
(古墳時代) 邪馬台国の女王、台与(とよ)が晋(中国)へ朝貢する
246年
256年
266年
286年
問題14.
(古墳時代) 蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を建立
588年
598年
608年
618年
問題15.
(古墳時代) 応神天皇(第15代)が即位する(実在が濃厚である最古の天皇)
380年
390年
399年
409年
問題16.
(飛鳥時代) 推古天皇が即位(日本初の女帝-第33代天皇)
592年
599年
612年
628年
問題17.
(飛鳥時代) 都を奈良県橿原市(かしはらし)の藤原京(長安の模倣)に遷都
654年
674年
694年
704年
問題18.
(飛鳥時代) 冠位十二階を制定・氏姓制度にとらわれずに能力主義で人材を登用をする
588年
598年
603年
618年
問題19.
(飛鳥時代) 聖徳太子死去。蘇我一族の専横がはじまる
588年
598年
608年
621年
問題20.
(飛鳥時代) 倭は唐(中国)へ遣唐使
589年
602年
618年
630年
問題21.
(飛鳥時代) 壬申の乱(古代史上最大の内乱)・大友皇子(弘文天皇)と弟の大海人皇子が皇位継承の争い。大海人皇子の勝利で天武天皇となる。
632年
652年
672年
682年
問題22.
(飛鳥時代) 和同開珎(わどうかいちん)が発行される(日本初の通貨)
638年
658年
688年
708年
問題23.
(飛鳥時代) 天智天皇が死去
641年
651年
661年
671年
問題24.
(飛鳥時代) 大宝律令(たいほうりつりょう)を施行(本格的な法典)・編纂は忍壁皇子(おさかべのみこ)、藤原不比等で、この頃から藤原不比等が台頭するようになる。
671年
691年
701年
731年
問題25.
(飛鳥時代) 大化の改新(たいかのかいしん)・中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)が蘇我入鹿、蘇我蝦夷を殺害して蘇我一族の体制を崩した。孝徳天皇が即位して、改革を進め都を大阪府大阪市の難波へ遷都
645年
655年
677年
685年
問題26.
(飛鳥時代) 改新の詔(公地公民制、班田収授法の制定)
588年
603年
628年
646年
問題27.
(飛鳥時代) 白村江(はくすきのえ)の戦い・朝鮮半島の白村江での倭・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦いで唐の勝利。倭は敗戦の影響で西日本各地に山城を築き防人を配備して大宰府を設置した。更に都を近江大津宮に遷都する。
610年
622年
648年
663年
問題28.
(飛鳥時代) 中大兄皇子が即位して天智天皇となる
648年
668年
688年
698年
問題29.
(飛鳥時代) 藤原鎌足が死去
669年
678年
688年
698年
問題30.
(飛鳥時代) 日本初の戸籍(庚午年籍-こうごのねんじゃく)を作成する
658年
670年
688年
698年
問題31.
(飛鳥時代) 憲法十七条を制定(和の精神、天皇へ服従、官吏の心得)
588年
598年
604年
618年
問題32.
(飛鳥時代) 奈良に法隆寺(玉虫厨子(たまむしのずし)、釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)、百済観音像(くだらかんのんぞう)など)を建立(世界最古の木造建造物)・小野妹子を隋(中国)に遣隋使・聖徳太子が煬帝へ当てた手紙「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」。隋と倭を対等関係にしようとした。
607年
621年
648年
678年
問題33.
(飛鳥時代) 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)が施行(体系的な法典)
679年
689年
709年
719年
問題34.
(飛鳥時代) 聖徳太子(厩戸王)が摂政(せっしょう)になる
588年
593年
599年
618年
問題35.
(飛鳥時代) 藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘が文武天皇の后になる
697年
727年
747年
767年
問題36.
(奈良時代) 奈良の東大寺に大仏ができる(奈良の大仏)
752年
767年
787年
797年
問題37.
(奈良時代) 元明天皇が都を奈良県奈良市付近の平城京(長安の模倣)へ遷都「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」万葉集で平城京の見事さを詠んだ歌。
700年
710年
740年
760年
問題38.
(奈良時代) 日本最古の地理書「風土記(ふどき)」がつくられた
713年
723年
743年
763年
問題39.
(奈良時代) 都を京都府向日市付近の長岡京へ遷都
714年
734年
784年
794年
問題40.
(奈良時代) 藤原不比等が養老律令(ようりょうりつりょう)を選定
701年
718年
757年
797年
問題41.
(奈良時代) 三世一身法(さんぜいっしんのほう)の施行・墾田(こんでん)の奨励、墾田は3世まで私有地となる。
703年
713年
723年
763年
問題42.
(奈良時代) 日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)」がつくられた・山上憶良(やまのうえのおくら)による貧窮問答歌など。
710年
759年
777年
784年
問題43.
(奈良時代) 日本最古の歴史書「古事記(こじき)」がつくられた・稗田阿礼(ひえだのあれ)、太安万侶(おおのやすまろ)による。
702年
712年
742年
762年
問題44.
(奈良時代) 道鏡(どうきょう)が孝謙天皇(女帝)に取り入り台頭する
711年
741年
761年
791年
問題45.
(奈良時代) 藤原四兄弟が天然痘で死去・この頃から橘諸兄(たちばなのもろえ)が台頭する。
701年
717年
727年
737年
問題46.
(奈良時代) 道鏡が太政大臣 禅師となる
712年
736年
747年
765年
問題47.
(奈良時代) 墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)の施行・墾田の奨励、墾田は永久に私有地となる。
724年
743年
757年
783年
問題48.
(奈良時代) 日本最古の漢詩集「懐風藻(かいふうそう)」がつくられた
701年
721年
741年
751年
問題49.
(奈良時代) 鑑真(がんじん)が来日して唐招提寺(とうしょうだいじ)を建立
697年
727年
753年
787年
問題50.
(奈良時代) 藤原広嗣の乱・藤原氏一族の勢力が弱まった為、勢力を取り戻そうとした反乱。結果は失敗して殺害された。
710年
720年
740年
760年
問題51.
(奈良時代) 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の権力が増大、橘諸兄が引退する・東大寺の正倉院(しょうそういん)ができる(校倉造-あぜくらづくり)
756年
767年
787年
797年
問題52.
(奈良時代) 養老律令を施行(大宝律令の法令不備や文言の修正)
697年
737年
757年
767年
問題53.
(奈良時代) 舎人親王(とねりしんのう)らにより日本書紀がつくられた・藤原不比等が死去
720年
740年
760年
780年
問題54.
(奈良時代) 鑑真(がんじん)が死去、彫像がつくられた(日本最古の肖像彫刻)
663年
775年
787年
798年
問題55.
(奈良時代) 聖武天皇が即位する・聖武天皇は藤原不比等の娘婿であり、聖武天皇の后は藤原不比等の娘である。この頃より藤原四兄弟が台頭する。
724年
744年
764年
784年
問題56.
(奈良時代) 藤原仲麻呂の乱・孝謙天皇・道鏡と藤原仲麻呂の権力争いで、藤原仲麻呂が敗北。
764年
774年
784年
794年
問題57.
(奈良時代) 道鏡が法王となる
716年
747年
766年
784年
問題58.
(奈良時代) 各国に国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)が建立
741年
767年
785年
798年
問題59.
(奈良時代) 宇佐八幡宮神託事件の翌年、道鏡が失脚して藤原百川(ふじはらのももかわ)が台頭
710年
720年
740年
770年
問題60.
(平安時代) 桓武天皇が京都市中心部にある平安京に遷都
794年
824年
854年
984年
問題61.
(平安時代) 坂上田村麻呂が征夷大将軍になり蝦夷(えみし)を征服
797年
827年
857年
987年
問題62.
(平安時代) 空海(くうかい)、最澄(さいちょう)が唐(中国)へ渡る
804年
824年
854年
984年
問題63.
(平安時代) 最澄(伝教大師-でんきょうだいし)、日本に戻り天台宗(でんだいしゅう)を伝える。滋賀県と京都府の間の比叡山に延暦寺(えんりゃくじ)を建てる
788年
805年
844年
988年
問題64.
(平安時代) 空海(弘法大師-こうぼうだいし)、日本に戻り真言宗(しんごんしゅう)を伝える。和歌山県の高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建てる
794年
800年
806年
854年
問題65.
(平安時代) 伊予親王の変(いよしんのうのへん)・冤罪で藤原吉子・伊予親王が死去。その結果、藤原南家の勢力が衰える。
807年
824年
866年
899年
問題66.
(平安時代) 薬子の変(くすこのへん)・平城上皇と嵯峨天皇との争い。嵯峨天皇が勝利して藤原北家の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が天皇の秘書長官である蔵人頭(くろうどのとう)となる。藤原北家の繁栄の基礎となる。
774年
788年
800年
810年
問題67.
(平安時代) 承和の変(じょうわのへん)・皇太子を巡る政変で、結果は藤原北家の藤原良房(ふじはらのよしふさ)の甥(道康親王)が皇太子となった。
842年
854年
877年
899年
問題68.
(平安時代) 藤原良房が人臣(皇族以外)で初の太政大臣となる・藤原良房が人臣で初の摂政となる
828年
858年
868年
898年
問題69.
(平安時代) 富士山噴火(貞観大噴火)
864年
884年
894年
924年
問題70.
(平安時代) 応天門の変(藤原良房が伴氏を陥れて流刑にする)
796年
826年
856年
866年
問題71.
(平安時代) 貞観地震(じょうがんじしん)の発生
869年
884年
901年
925年
問題72.
(平安時代) 藤原基経が関白となる(関白のはじまり)
792年
827年
853年
884年
問題73.
(平安時代) 阿衡事件(あこうじけん)
887年
894年
911年
964年
問題74.
(平安時代) 宇多天皇は勢力拡大の為、桓武天皇の曾孫の高望王に平姓を与える。平将門(たいらのまさかど)は高望王の孫になる。
744年
820年
889年
989年
問題75.
(平安時代) 菅原道真(すがわらのみちざね)の建議で遣唐使を廃止
894年
901年
952年
984年
問題76.
(平安時代) 昌泰の変(しょうたいのへん)-菅原道真を大宰府へ左遷させる
791年
852年
888年
901年
問題77.
(平安時代) 延喜の荘園整理令
795年
825年
842年
902年
問題78.
(平安時代) 紀貫之(きのつらゆき)などにより最初の勅撰和歌集「古今和歌集(こきんわかしゅう)」ができる
905年
922年
954年
984年
問題79.
(平安時代) 紀貫之による日記文学「土佐日記」ができる
802年
824年
850年
935年
問題80.
(平安時代) 天慶の乱(てんぎょうのらん)-俘囚(ふしゅう)の反乱
939年
944年
954年
984年
問題81.
(平安時代) 経基王(つねもとおう)は臣籍降下で源姓(源経基)となる。孫の嫡流が源頼朝となる(清和源氏)
852年
960年
984年
984年
問題82.
(平安時代) 安和の変(あんなのへん)-皇位継承者争いで、藤原師尹(ふじわらのもろただ)が源高明を大宰府へ左遷させる(藤原氏、最後の謀略)
906年
926年
969年
986年
問題83.
(平安時代) 藤原道綱の母(ふじわらのみちつなのはは)による日記「蜻蛉日記(かげろうにっき)」ができる
965年
975年
985年
995年
問題84.
(平安時代) 藤原道長が内覧(ないらん)の宣旨(せんじ)を受けて権力が拡大する
925年
945年
945年
995年
問題85.
(平安時代) 藤原定子(一条天皇の皇后)に仕えた清少納言(せいしょうなごん)による日本最古の随筆「枕草子(まくらのそうし)」ができる
976年
976年
986年
996年
問題86.
(平安時代) 紫式部(むらさきしきぶ)による世界最古の恋愛小説「源氏物語」ができる
1008年
1015年
1026年
1055年
問題87.
(平安時代) 藤原道長が摂政となる・藤原道長は3人の娘を皇后に1人を皇太子妃にして権力を拡大した。
1016年
1026年
1036年
1046年
問題88.
(平安時代) 刀伊の入寇(といのにゅうこう)-女真族(じょしんぞく)の来襲
1009年
1019年
1029年
1059年
問題89.
(平安時代) 平忠常の乱(たいらのただつねのらん)・房総で平忠常が起こした反乱。源頼信(みなもとのよりのぶ)が鎮圧。
1011年
1028年
1058年
1085年
問題90.
(平安時代) 藤原頼通が平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を建立
1052年
1062年
1072年
1092年
問題91.
(平安時代) 菅原孝標(すがわらのたかすえ)の娘により回想録「更級日記」ができる
1029年
1039年
1049年
1059年
問題92.
(平安時代) 源頼義が鎌倉に鶴岡八幡宮を建立
1023年
1063年
1073年
1093年
問題93.
(平安時代) 後三条天皇が即位する(親政に戻り藤原氏の摂関時代の終焉となる)
1026年
1068年
1078年
1098年
問題94.
(平安時代) 白河天皇が上皇となり院政を開始(院政のはじまり)
1026年
1056年
1066年
1086年
問題95.
(平安時代) 白河上皇が出家して白河法皇となる
1126年
1146年
1166年
1096年
問題96.
(平安時代) 藤原清衡が中尊寺を建立(金色堂-こんじきどう)
1105年
1135年
1165年
1175年
問題97.
(平安時代) 源義親の乱(源義親が略奪、乱暴を働いた為、平正盛に討たれた)
1108年
1148年
1168年
1178年
問題98.
(平安時代) 鳥羽上皇の院政が開始する
1129年
1149年
1169年
1179年
問題99.
(平安時代) 保元の乱(ほうげんのらん)・後白河天皇(源義朝・平清盛)と崇徳上皇(源為義・平忠正)の政権争い。後白河天皇の勝利。
1136年
1156年
1176年
1196年
問題100.
(平安時代) 後白河天皇の院政が開始する
1128年
1138年
1148年
1158年
問題101.
(平安時代) 平治の乱(へいじのらん)・源義朝の内乱、源義朝は平清盛に討たれる。源頼朝は伊豆に流刑。この頃には平清盛を礎とする平氏一族が台頭する。
1159年
1169年
1179年
1189年
問題102.
(平安時代) 平家納経(平清盛が厳島神社に33巻の経典を奉納する)
1124年
1164年
1184年
1194年
問題103.
(平安時代) 平清盛が武士で初の太政大臣となる・日宋貿易(にっそうぼうえき)が盛んになる。平時忠「平家にあらずんば人にあらず」と発言する。
1127年
1167年
1187年
1197年
問題104.
(平安時代) 法然(ほうねん)が浄土宗を伝える(念仏、南無阿弥陀仏、極楽浄土)
1175年
1185年
1195年
1205年
問題105.
(平安時代) 鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)-平氏を倒す陰謀で首謀者は斬首、流罪
1127年
1147年
1167年
1177年
問題106.
(平安時代) 平清盛が後白河法皇を幽閉する
1129年
1149年
1169年
1179年
問題107.
(平安時代) 以仁王(もちひとおう)が平家打倒の令旨(りょうじ)。以仁王・源頼政は挙兵するが敗死
1113年02月
1123年03月
1153年04月
1180年05月
問題108.
(平安時代) 石橋山の戦いで源頼朝が大庭景親に敗れる。源頼朝は敗走中に梶原景時に発見されるが見逃される。その後、源頼朝は鎌倉へ行き本拠地とする
1100年02月
1130年04月
1150年06月
1180年08月
問題109.
(平安時代) 富士川の戦いで源頼朝と平維盛が対峙するが平維盛は敗走する。源頼朝は弟の源義経(牛若丸)と対面する
1100年02月
1130年04月
1150年08月
1180年10月
問題110.
(平安時代) 平清盛は後白河法皇の幽閉をとく
1180年02月
1180年04月
1180年08月
1180年12月
問題111.
(平安時代) 平清盛が病死する
1181年02月
1231年02月
1251年02月
1281年02月
問題112.
(平安時代) 倶利伽羅峠(くりからとうげのたたかい)の戦いで源義仲(木曾義仲)は火牛の計で平維盛に勝利
1183年02月
1183年05月
1183年08月
1183年10月
問題113.
(平安時代) 平氏が都を捨て西国へ敗走。源義仲が入京(都で乱暴をはたらく)
1183年02月
1183年04月
1183年07月
1183年10月
問題114.
(平安時代) 水島の戦いで源義仲は平氏に敗れる・源頼朝が朝廷より宣旨をうける(寿永二年十月宣旨-東国支配権)
1183年02月
1183年04月
1183年08月
1183年10月
問題115.
(平安時代) 源頼朝が問注所(もんちゅうじょ)、公文所(くもんじょ)を設置(公文所は後の政所の前進)
1114年
1134年
1154年
1184年
問題116.
(平安時代) 源義仲は征東大将軍となる・宇治川の戦いで源範頼・源義経が勝利。源義仲が敗死
1124年01月
1144年01月
1164年01月
1184年01月
問題117.
(平安時代) 一の谷の戦いで源範頼・源義経が勝利。平氏の敗走
1184年02月
1194年02月
1204年02月
1224年02月
問題118.
(平安時代) 屋島の戦いで源義経が勝利。平氏の敗走
1155年02月
1185年02月
1195年02月
1255年02月
問題119.
(平安時代) 壇ノ浦の戦いで源義経が勝利。平氏の滅亡
1155年03月
1185年03月
1215年03月
1285年03月
問題120.
(鎌倉時代) 元弘の乱(げんこうのらん)・後醍醐天皇による討幕計画で失敗。護良親王(もりよししんのう)や楠木正成(くすのきまさしげ)などが挙兵した。
1301年
1331年
1371年
1391年
問題121.
(鎌倉時代) 奥州合戦で奥州藤原氏、源義経、武蔵坊弁慶が滅亡
1129年
1169年
1189年
1199年
問題122.
(鎌倉時代) 比企能員の変(ひきよしかずのへん)-北条時政(政子の父)により比企能員、比企一族が滅亡・源実朝(みなもとのさねとも-母:北条政子)が3代目将軍となる・北条時政が鎌倉幕府の執権(しっけん)となる(執権のはじまり)・運慶、快慶が東大寺南大門の金剛力士像をつくる
1203年
1243年
1273年
1293年
問題123.
(鎌倉時代) 源頼朝が右近衛大将(うこのえのだいしょう)になる
1120年
1160年
1180年
1190年
問題124.
(鎌倉時代) 嘉暦の騒動(かりゃくのそうどう)-北条氏の家督争い
1326
1336年
1366年
1386年
問題125.
(鎌倉時代) 源頼朝が征夷大将軍になる
1122年
1169年
1187年
1192年
問題126.
(鎌倉時代) 梶原景時の変(梶原氏一族の滅亡)十三人の合議制の開始
1120年
1200年
1235年
1255年
問題127.
(鎌倉時代) 建仁の乱(城氏一族の反乱)
1201年
1221年
1251年
1271年
問題128.
(鎌倉時代) 源頼家が暗殺される
1204年
1224年
1254年
1274年
問題129.
(鎌倉時代) 畠山重忠の乱(畠山重忠は北条義時(父:時政)に討たれる)・牧氏事件(まきしじけん)-将軍の後継者争い。北条時政・牧の方と北条義時・北条政子の争いで北条義時が勝利して執権となる
1205年
1225年
1275年
1295年
問題130.
(鎌倉時代) 和田合戦(和田義盛の反乱で和田義盛は敗死)
1203年
1213年
1253年
1273年
問題131.
(鎌倉時代) 源実朝が鶴岡八幡宮で公暁(源頼家の子)に暗殺される・その後、2歳の九条頼経(源頼朝の血筋)を次期将軍として迎え入れた。九条頼経が将軍になるまでは北条政子が尼将軍として代行した。
1219年
1229年
1259年
1299年
問題132.
(鎌倉時代) 北条義時が死去。北条泰時(北条義時の子)が執権となる・連署(れんしょ-副執権相当)の設置(初代は北条時房)・親鸞(しんらん)が浄土真宗を伝える(念仏、悪人正機、他力本願)
1204年
1214年
1224年
1274年
問題133.
(鎌倉時代) 安藤氏の乱(蝦夷の蜂起と安藤氏の内紛)
1244年
1284年
1314年
1324年
問題134.
(鎌倉時代) 九条頼経が4代目将軍になる(摂家将軍の開始)
1206年
1226年
1256年
1276年
問題135.
(鎌倉時代) 寛喜の飢饉(かんきのききん)
1231年
1251年
1271年
1291年
問題136.
(鎌倉時代) 宝治合戦(ほうじかっせん)-北条氏と三浦氏の争い。三浦氏の滅亡
1247年
1267年
1287年
1297年
問題137.
(鎌倉時代) 源頼朝が死去。源頼家(母:北条政子)が2代目将軍となる
1129年
1149年
1189年
1199年
問題138.
(鎌倉時代) 宗尊親王(むねたかしんのう)が6代目将軍に就任(皇族将軍の開始)・鎌倉に鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)ができる
1202年
1222年
1252年
1282年
問題139.
(鎌倉時代) 正中の変(しょうちゅうのへん)-後醍醐天皇による討幕計画で失敗
1324年
1334年
1374年
1394年
問題140.
(鎌倉時代) 日蓮が日蓮宗を伝える(法華経、南無妙法蓮華経、立正安国論)
1203年
1243年
1253年
1293年
問題141.
(鎌倉時代) 元寇-文永の役(ぶんえいのえき)・元・高麗軍(約3万人)は対馬・壱岐に続いて博多湾から上陸するが日本軍の奮闘と暴風雨で退却。
1204年
1224年
1264年
1274年
問題142.
(鎌倉時代) 九州の統治機関である鎮西探題(ちんぜいたんだい)が少弐貞経(しょうにさだつね)・大友貞宗・島津貞久により壊滅。
1301年02月25日
1313年03月25日
1320年04月25日
1333年05月25日
問題143.
(鎌倉時代) 北条時宗が円覚寺舎利殿(えんかくじしゃりでん)を建立
1212年
1242年
1252年
1282年
問題144.
(鎌倉時代) 平禅門の乱(へいぜんもんのらん)・北条貞時が鎌倉大地震の混乱に乗じて平頼綱とその一族を討つ。
1213年
1243年
1263年
1293年
問題145.
(鎌倉時代) 嘉元の乱(かげんのらん)-北条宗方の乱
1305年
1315年
1352年
1375年
問題146.
(鎌倉時代) 後醍醐天皇が即位する(初代南朝天皇)
1305年
1318年
1352年
1375年
問題147.
(鎌倉時代) 後醍醐天皇が隠岐に流刑(翌年、脱出する)
13032
1342年
1372年
1382年
問題148.
(鎌倉時代) 北条政子が死去。北条泰時が評定衆(ひょうじょうしゅう)の設置
1201年
1225年
1251年
1271年
問題149.
(鎌倉時代) 承久の乱(じょうきゅうのらん)・後鳥羽上皇(西国:朝廷)と北条義時(東国:鎌倉幕府)の争い。北条義時が勝利して幕府の支配権は西国にも及んだ。更に京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置して朝廷の動きを監視した。
1201年
1221年
1251年
1281年
問題150.
(鎌倉時代) 光厳天皇が即位する(初代北朝天皇)
1301年02月
1313年03月
1320年04月
1331年09月
問題151.
(鎌倉時代) 鎌倉幕府の滅亡
1333年
1343年
1353年
1373年
問題152.
(鎌倉時代) 永仁の徳政令(えいにんのとくせいれい)-日本初の徳政令
1297年
1310年
1324年
1354年
問題153.
(鎌倉時代) 新田義貞が鎌倉幕府(14代執権北条高時、北条一族)へ攻め込み滅亡させる。
1301年02月25日
1313年03月25日
1320年04月25日
1333年05月22日
問題154.
(鎌倉時代) 源頼朝が全国に守護、地頭(じとう)を置く(名目は源義経を捕縛)この頃には鎌倉幕府が成立する
1155年
1185年
1195年
1215年
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